『えんのひとつまみ Vol.3』「“助けて”は誰かの“好き”になるんだよ」──みんなが自分らしく輝ける場所『天草ビオ・ヴィレッジ』 - えんらいと

『えんのひとつまみ Vol.3』「“助けて”は誰かの“好き”になるんだよ」──みんなが自分らしく輝ける場所『天草ビオ・ヴィレッジ』

こんにちは、えんらいとの太陽です。

「えんのひとつまみ」では、様々なご縁(ご塩)でつながった、味わい深く面白いひとたちを、“ひとつまみ”ご紹介していきます。

第3回は、自然やご縁をそのままに受けとめ、委ねながら生きるコミュニティ天草ビオ・ヴィレッジ』の代表、神前利百さんを、ひとつまみご紹介します!

 

神前利百(こうざき とも)さん(通称:ともちゃん)

天草ビオ・ヴィレッジ代表/快療法士(現理事)/心理カウンセラー(こころの先生)/楽健法セラピスト

兄の閉鎖病棟入院をきっかけに東洋医学や栄養学を学び、エステティシャンとして活動。
心と体、二つの車輪を理解して、自分らしい人生を作っていく生き方を学べるサロンを34歳の時に開業。

栄養学を学ぶうちに、本当の健康について考えるようになり、快療法、楽健法に出会う。

誰もが自分らしく輝けるコミュニティ作りに奔走中、導かれるように天草へ。

古来より天草の人々の根底にある「のさり」の精神をモットーに、すべてを贈り物として受け止め、“好きなことでしか頑張らない”、”誰もが継続可能で自分らしく輝ける場所”コミュニティの創設へ、地元和歌山から遠く離れた熊本、天草の地に移住。

日々まばゆい命の炎を燃やし、その明かりに導かれるように様々な人が日々、ともちゃんの元へ集っています。

 

ともちゃん、一体何者?

 

太陽:今回は「えんらいと」初!取材遠征をご依頼いただきました、『天草ビオ・ヴィレッジ』代表、神前利百さんこと、ともちゃんの取材となります。改めて、ともちゃん今日はよろしくお願いします!

 

 

ともちゃん:太陽くんよろしく〜!…いざ改まってインタビューされると、ちょっと構えちゃうね〜(笑)

太陽:わかる(わかる)。
なんてったって、僕が熊本に来て取材始めてからもう1週間近く経ってるもんね。
ともちゃんの話込みで取材することがほとんどだったから、すでに何回も取材してる気でいました(笑)。

スケジュールの都合上ここしかゆっくり話を聞けなかったら、取材としてはだいぶ後半だけど、とはいえ取材記事がこれからどんどん公開されるにあたって、読者の方からしたら「そもそも『天草ビオ・ヴィレッジ』ってなに?」って感じだろうから、まずは代表のともちゃんから話を聞かないことにはね。

ということでここからちゃんとした取材なので、なるべく敬語多めでいきます。

ともちゃん:敬語か、やりにくいな。

太陽:ともちゃんのそういう男前なところ好きよ(笑)ということで、まずは『天草ビオ・ヴィレッジ』とはなんぞや?という所から、お話お伺い出来ますでしょうか?

ともちゃん:『天草ビオ・ヴィレッジ』は、みんなが安心して暮らせる、安心して食べれる。
赤ちゃんからお年寄りの方まで、「すべての命を育んで繋いでいく、まつりの庭」として立ち上げました。

天草には「のさり」っていうことばがあるんだけど、太陽くんわかる?

太陽:のさり?…野草の名前?

ともちゃん:ん゛〜、まあ野草の名前っぽいってのは…わからんでもないかな(笑)

古くから天草に住む人々の根底には、「自然やご縁をそのままに受けとめ、委ねながら生きる」という精神があって、それをあらわすことばが「のさり」。

『天草ビオ・ヴィレッジ』では、みんなが「のさり」の気持ちで過ごしていて、風が吹けばその風に寄り添って、雨が降ればその恵みに感謝する。人の違いも、思いどおりにならないことさえも、ひとつの調べとして響かせ合って、贈りものとして受けとめる。

そんな「のさり」のこころを大切に、「好きなことでしか頑張らない」「誰もが継続可能で自分らしく輝ける場所」が『天草ビオ・ヴィレッジ』です!

太陽:あまりにも素敵すぎる。こんな場所が近くにあったらそれだけで救われる人が何万人も居ると思います。『天草ビオ・ヴィレッジ』に関われたら、これからの人生がどんどん豊かに、そして未来の子供たちにも安心して過ごしてもらえる、とんでもない社会貢献になりますよ。そしてこういう活動が天草を超えていろんな地域に広まって活性化していけば、日本の平和、世界平和にも繋がっていくと思います。

…こんな夢みたいなコミュニティですが、そもそもきっかけは何かあったんですか?

 

 

ともちゃん:元々20年くらい前からこういうコミュニティを作るのが夢だったんだよね。心理カウンセラーとして2万人以上の人を見てきたんだけど、心から体に影響して辛い思いをしている人や、学校に行けず親にも言えない、頼れない子供たち。そんなひとたちがすごく多かったの。

で、よくよく話を聞いてみたら、子供たちも苦しんでるけど、お母さん、お父さんもすっごく苦しんでるの。

「○○しなければならない」そういう教育を日本はしていると私は感じていて、本当はそうじゃない「選んでいいよ」ってのを伝えて回っていました。

でも、そもそも家から出れない子供たちが多くて、「選んでいい」って伝えても「そんなのどこにあるの?」って思うわけ。

太陽:たしかに、自分も子供の立場だとそう思うかな〜…誰にも頼れない閉鎖的な空間。暗いエネルギーに当たり続けて、そんな選択肢がどこに存在するの?って、夢物語に感じると思います。

ともちゃん自然の中で土を触るだけでも癒される、そういう経験すらしたことがないんだよね。私の子供の頃の話になるんだけど、無人島みたいなところで10日以上過ごすっていうのを毎年家族でしていてね。あれ本当にキツかったんだよね〜。

太陽:無人島?ど、どういうこと?

ともちゃん:まあそんな反応になるよね(笑)。父にね、私が小学校4年生になるまで毎年夏に無人島みたいなところに連れて行かれてたのよ。家族全員で必要最低限の塩と米だけ持って。あと銛(もり)か。

太陽:家族で!?そんなイベント毎年発生するってすんごいね。というか水はないの?

ともちゃん:そこは砂浜を掘ると真水が出てくるところでさ、だから父はそこを選んだんだろうけど。

太陽:砂浜掘って真水が出るとかある?すんごい経験。

ともちゃん:今でもいないよねそんな家族(笑)。父は素潜りの達人で、銛を持って海に潜って色々獲って来てくれたり、お米も炊けるように釜戸から作る方法とか教えてくれたの。そりゃ当時は今みたいなキャンプ用品もないし、硬い石の上でマットもなく寝なくちゃいけない。親は持って来たお酒で酔っ払ってイビキかいて寝てるしで、ずっと早く帰りたい最悪なキャンプって思ってたの。

太陽:その無人島キャンプをどうして毎年したのか理由は聞いてないの?

ともちゃん:聞いたよ。父がまだ元気だった頃に、あんなしんどいキャンプをなんの意味で毎年やってたの?って。

父はね、そういう経験をすると、原始経験が残るって。ここまで沖に出たら流されるとか、この木は燃えるとか、これは食べられる貝とか、自分の危険信号の察知能力、生きていくための自然のセンサーを、子供達に絶対!残さなきゃいけないと思ったからやったんだよって。

姉が中学校に入るときに行かなくなったんだけど、父は2週間仕事を休んでまで、それをしなきゃいけないと思って毎年連れて行ってくれてたんだよね。

太陽:すごいねお父さん…。そういう経験を子供のうちにできたら、大人になっても生きていけるって自信になりそうですよね。

ともちゃん:そうだね〜…父は今年の4月に亡くなったんだけど、無人島で私を背中に乗せて命がけで沖までぐいぐい泳いでいく父の背中が今でも鮮明に思い出せる。だから父が亡くなったのに全然寂しく感じない。あんなかっこいい人いないなぁって、今でも愛を感じるんだよねぇ。

ここまで来るのにしんどい経験もたっくさんあって、「もう死んでもいいかな、この体から抜けてもいいかな」って何回も思うことあったけど、あの無人島で過ごした記憶が、自然で生きる喜びが炎のように胸にあったの。どれだけ辛くても、あの無人島のキャンプに心を戻せば、自分を取り戻せたな。

太陽:実際その無人島での経験でともちゃんはここまで来れた訳だから、お父さんが子供たちが生きていける経験を残さなきゃいけないって、命がけで用意してくれたのは究極の教育のように感じるなぁ。

ともちゃん:幼少期の経験って、自分を取り戻せる、生きていく上でとても重要になると思ったから、カウンセリングをして、家から出れない、親にも言えない子供たちをみた時に、「あの経験をさせてあげないと、この子供たちも親も全員死んじゃうな」って。だからみんなに、子供達にそういう経験をさせてあげれる場を作らなければならないっていうのを強く思ったのが20年くらい前。

だけど根幹は、私が幼少期に経験した孤独感が一番大きかったな。

太陽:孤独感?

ともちゃん:私の幼少期は結構壮絶でさ、ボロボロの状態で学校に行ったりしてたんだけど、誰一人として「大丈夫?」って言ってくれないの。誰か一人でも声をかけてくれていたら、私は孤独を抱えずに生きてこれたと思う。

でも今この社会が自分に精一杯で、学校でボロボロになってる子供が居ても、近所の家で毎日怒鳴り声が聞こえても、声をかけることができない。個々が一生懸命生きていて、助けを求めていそうな人に声をかける余裕がまるでない。それが私が幼い頃に感じた、「信用できる大人がいない、孤独な社会」。

この経験があったから、何かあったときに大丈夫?と言える大人になろう、そういうコミュニティを作ろうと18歳の時から強く思うようになりました。それが『天草ビオ・ヴィレッジ』を立ち上げる原点だね。

 

この取材旅中に突然手に入った田んぼ(!?)とともちゃん。理由はまた別の記事で…

 

太陽:そう思ってから20年かけて実際にその目標に立ててるのが本当にすごいと思います。今日で取材を始めてから1週間くらい経ったけど、出会う人みんな優しくてすごい方ばかりだし、そんな人たちがともちゃんの想いに賛同して集まって、『天草ビオ・ヴィレッジ』がものすごく盛り上がってるじゃん?

このプロジェクトを立ち上げるために、ともちゃんの人生を通して、何かの意思なのかわからないけど、すごい力が働いているとしか思えないですね。

ともちゃん:『天草ビオ・ヴィレッジ』は私のはかりごとじゃない、神様の采配で生まれたもの。それだけは間違いないよ。そもそも子供たちにそういう体験をさせるというのであれば、作るのは簡単なの。でもそれを、永続的に後世に残すには、まず仕組みだと思ったの。

「こういうのを作りたい」「後世に残していきたい」それを20年かけて伝えて回って人繋ぎをして、応援してくれる人、助けてくれる人、一緒に作っていきたいと思う人、そういう人にまず出会わないといけないと思ったのが20年前だね。

太陽:ともちゃんは和歌山の人だよね?この天草の地でやるっていうのがどういう出会いがあって決まったの?

ともちゃん:「自分の命は自分で守る」っていうスローガンを掲げている「快医学(かいいがく)」に出会ったのが7年前。自然療法、家庭療法、代替医療を伝えている団体があるんだけど…太陽くんもう知ってるよね?

太陽:熊本に来るまでは名前も聞いたことなかったけどね。今日まで取材した人でたくさんの方が関わっていて、こんな活動を人知れずされている方々が居るってめっちゃ感動したよ。

(※快医学の出会については後日別の記事でご紹介します。)

ともちゃん:エステティシャンをしながら栄養学を学んでいた時期もあって、「息・食・動・想・環」を大事にしている快医学に出会って、すごい素晴らしいなと感動したのが8年前。その快医学の国際フォーラムが4年前にタイで開催されて、それに行ったの。その時に『天草ビオ・ヴィレッジ』に関わっていく熊本の仲間たちに出会ったの。

太陽:日本じゃなくてタイで出会ったのもすごいご縁だよね。記事は前後するけど、雅治さんに取材したときに聞いてびっくりしたよ。

ともちゃん:仏教の国と言われるタイでみんなと出会えたのも、やっぱり神様の采配だよね。20年前からそういう場所を作りたいと思い続けて人繋ぎをして来たから、「何か一緒にやりたいね」ってその時に話していたの。熊本に作るとは思ってなかったけどね(笑)。


タイで開催された快医学国際フォーラムでの素敵な一枚。

 

ともちゃん:それから1年後、天草に私と縁のある方が居らして、その方は先人のお父さん、おじいちゃんから天草に沢山の土地や山を引き継がれていて、「私も歳だし、ともちゃん一緒に考えてくれない?」って言われたの。

…とはいえ、それはご親族で考えないといけないことだし、「私のような他人が入っても」という事をこちら側としては伝えていたの。

太陽:ひょえ〜、そんなことがあったのか。でも一度は断ったんですね。

ともちゃん:そらそうだよね。別に私が考えなくても、ご親族で考えるべきことだと思いますって伝えたの。で、今年の5月に快医学の大きな集まりがあって、そこでまたお会いしたんだけど、「色々親族と話したんだけど、やっぱり前に進まなくって…このままだったら、引き継いだものが朽ちてしまうのではないか?近所の人にもご迷惑をかけるんじゃないかって。だから、ともちゃん一緒に考えてくれませんか?」って。

3年経ってもそうお願いされたので、私も「それ本気なんでしょうか?」って聞いたよ。じゃあ「本気です」って返事が来たから、「ご親族の方は?」って聞くと、「ちゃんと話します」って。

「私はこの20年間色んな人とたくさんのご縁を繋いで来ました。だから私が行くと沢山の方が来て助けてくれて、色んな動きになると思います。それだけ本気でいくことになりますが、大丈夫なんでしょうか?」って言ったら、「お願いします」って即答だった。じゃあこれは私がやらなきゃいけない使命だなってその時思いました。

太陽:なるほど、それで地元関西じゃなくてここで始めることになったんですね。

ともちゃん:ずっと関西でそういう場を作ることを目標に最初は動いていたよ。でもイマイチこれだというのに巡り会えずにいて、そんな時にこの話があったんだよね。20年前からご縁を繋いできた方々、そして4年前タイで出会った熊本の方々と何か一緒にやりたいとずっと思っていたから、「あ、私が天草に行けばいいんだ」って腑に落ちました。

で、こういう話があるんだけど、一緒に何かできませんか?って声をかけたら、みんなが一緒にやろう!ってなって、今では100人近くの方が天草のプロジェクトに関わってくださることになったので、一般社団法人として『天草ビオ・ヴィレッジ』が誕生するきっかけになりました、という訳です。

 

取材旅行中の一コマ。とある神社にあった立派な銀杏の木とともちゃん。

 

太陽:壮大すぎてひっくり返りそうになりながら話を聞いていました。本当にすごい。最初から最後まで、神懸かってるとしか言えない誕生秘話でした。話し相手が居る大人の自分ですら、家に篭っている時間が長いと不安になるし、「自分にできることって何もないんじゃないかな」って滅入ってくるので、今この時間も悩んでいる、苦しんでいる人に『天草ビオ・ヴィレッジ』を伝えてあげたいです。

ともちゃん:「誰かの“助けて”は、誰かの“好き”になる」。私は人に声をかけてご縁を繋いでいくことはできても、太陽くんのように記事を書いて伝えることはできない。できること、好きなことは、人の数だけあって当然で、あなたのできること、好きなことが誰かの助けになる。逆もまたしかりで、あなたが助けてほしいと思う事が、誰かの好きで解決する。みんながやりたいこと、好きなことを、頑張らないで継続していくのが『天草ビオ・ヴィレッジ』。

なのでここでは働く時間は4時間までと決めています。あとはみんなが心地よく、楽しい時間を過ごす。それが未来で永続的に継続できる仕組みで、これからの日本で暮らしていく子孫に残していくものだと思っているので、私はこれからの命を、仲間と共に燃やしていこうと思っています。

太陽:ともちゃんありがとう!流石に痺れまくりました。そんな日本の未来を照らしていく『天草ビオ・ヴィレッジ』の取材記事を自分が書けること、とても誇りに思います。

…とはいえ、熊本どころか九州にすら降り立った事のない僕が、なぜ書くことになったのが意味不明すぎて、感動と混じって心が行方不明です(?)。

ともちゃん:それは私と一緒に『天草ビオ・ヴィレッジ』の立ち上げに関わってくれて、3年前に太陽くんと繋いでくれた「Syuちゃん」だよね。Syuちゃんの記事は最後のほうになるだろうから、読んでる人はしばらく「?」だろうけどね(笑)

 

取材旅行中の一コマ。牛深「あかね市」にて、ともちゃんと噂のSyuちゃん。

 

太陽:Syuちゃんね…普段苗字、しかも旧姓で呼んでるから違和感めっちゃあるけど、前の職場で5年くらい一緒に働いていました。これは読者の方に向けてのメッセージです(台無し)

ともちゃん:ちゃんとSyuちゃんの記事を書き終えたらこの記事にもリンク貼っておいてね(笑)

太陽:そりゃもういますぐにでも貼りたいですが、ともちゃんの後ろに控えてる人が15人近くおりますので、なるべく早く仕上げられるよう頑張ります(遠い目)

でもあの時に1度しか会ってないともちゃんからこんな依頼をいただくとは夢にも思ってませんでした。今更だけど、なんで僕に依頼してくれたの?

ともちゃん:太陽くん前の会社でnote書いてたよね?あれが更新されるたびにSyuちゃんが連絡くれて、私基本的にずっと休まず動き続けているんだけど、その合間の息つく一人の時間にずっと読んでたの。等身大で要所要所に関西人のツッコミが入る記事に何回も癒されたから、何かこの人に記事を書いてほしいなってずっと思っていてね。

さっきも言ったけど、『天草ビオ・ヴィレッジ』に関わってくれる方が今100人くらい居るんだけど、私は全員わかっていても、他の人はそうじゃない。どんどん人が増えていって、「他の人たちは一体どういう人なんだろう?」って、私が毎回説明するわけにもいかないし、そもそもそんな時間は無い訳で…。

そんなベストなタイミングで、太陽くんがご縁を繋ぐ記事を書き始めた訳よ!「これだ!」と思って、Syuちゃんに声をかけて、一度熊本に来て取材してくれませんか?とお声がけした次第です。

太陽:本当に不思議だよね。まさか僕も前の会社を辞めるとは半年前まで全く思って無かったし、どうしてこうなったのか日々不安だったけど、熊本に来てみなさんのお話を聞いて、取材中何度も神懸かった体験をして、このためだったんだなって。

「えんらいと」の立ち上げに『神宝塩』の工藤先生「キララサロン」のトッシーさんにも物凄くお世話になったし、「えんのひとつまみ」を書き始めるきっかけを作って下さった塩シスターズのみなさまとの出会いも、全部が繋がっているんだなって、心の底から思います。

ともちゃん:熊本に来たばかりの時とは顔全然違うもんね。人見知り治った?(笑)

太陽:人間、ハードすぎるスケジュールをこなしていたら、人見知りなんて言ってられないんだなというのは学びました(笑)

ともちゃん:まだまだ100人以上太陽くんには取材して記事を書いてほしいひとたちがいるから、今回の旅は序章も序章よ。また依頼できるようにお互いにやるべき使命を果たしていこうね!

太陽:ありがとうございます!取材を受けてくださった方の人となりが伝わる記事を書いて、色んな人、それこそ家から出れない、コミュニュケーションの取れない子供たちにも、「こんな素晴らしく暖かく優しい方がいるんだよ」と伝えられる、次世代の名刺代わりになるような記事が書けるように、アンテナ張り巡らせて頑張ります!

ともちゃん:何かあったらともちゃんの元へ来てね!全国各地飛び回っております!連絡先はえんらいとさんで(笑)

太陽:なんかしれっと仕事増やされてません?

 

「ともちゃん」にとっての「塩」は?

 

太陽:では最後に…「えんのひとつまみ」では、取材した方にとっての「塩」についてお伺いしています。ともちゃんにとっての「塩」はどういうものでしょうか?

ともちゃん:私にとっての「塩」は、「命そのもの」です。私が16歳の時に兄が統合失調症になって病院に入ることになって、そこで毎日10錠以上の薬を飲むことを指導されて、当時は親も私も知識がないから、それ以外の選択肢を選ぶ余裕がありませんでした。兄は薬の副作用が辛くて泣いて暴れて、結果それで閉鎖病棟に入ることになったんだけど、果たしてこうなったことが本当に正しかったのか。それは今でも後悔しています。

あの時自分に知識があればもっと違う未来があったのでは?そう思って栄養学を勉強し始めて、そこでお塩の大切さも学びました。

学べば学ぶほど、食べ物もお塩も情報も、信じていたものとは違う。

23歳で妊娠していた時に「妊娠中毒症になるから塩は控えて」と先生に言われましたが、調べてみたら、そもそも普段口にしていた塩と思っていたものは全然違う物質で、そこで本当のお塩の大切さに気がついたと思います。

『天草ビオ・ヴィレッジ』の活動を通して、塩の大切さをきちんと伝えていけたらいいなと思っています。

無邪気な笑顔で可愛い工藤先生にもいつかお会いしたいです♡
工藤先生、天草から心待ちにしております♡

 

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えんのひとつまみ、第三回は『天草ビオ・ヴィレッジ』代表、神前利百さんでした。

ともちゃんに熊本に呼んでいただいて、1週間隙間なく取材旅行を共にしましたが…ま〜〜〜〜〜〜〜すんごいの。

夜遅くまで起きて仕事やら施術やらして、2時間くらいしか寝てないのに私より早く起きてご飯を作って掃除して…通りかかる人、お店の人、気がつけばいつの間にか仲良くなっていて、連絡先を交換している…そんなシーンを何度も目撃しました。

20年間ご縁を繋ぐ旅をして来た旅人ともちゃん。説得力しかありませんでした。

さて、記事の中でも触れましたように、『天草ビオ・ヴィレッジ』に関わるたくさんの方に取材をしました。

ともちゃんには全ての取材に同行していただいているので、これからの記事でも沢山登場いたします。

ともちゃんに出会ったことのない方も、記事越しにともちゃんのエネルギーを感じ取っていただければ、多分元気になりますので、ぜひ今後の記事も追ってお読みくださいませ。

 

今回紹介した「天草ビオヴィレッジ」は…

 

古来より天草の人々の根底にある『のさり』の精神。

天草に、「のさり」ということばがあります。
それは、自然やご縁をそのままに受けとめ、委ねながら生きる、
やわらかな心をあらわすことばです。

『天草ビオヴィレッジ』では、
みんなが「のさり」の気持ちで暮らしています。

風が吹けばその風に寄り添い、雨が降ればその恵みに感謝し、
人の違いもまたひとつの調べとして響かせ合う。
思いどおりにならないことさえ、贈りものとして受けとめる。

それが「のさり」のこころであり、
私たちが共に紡いでいる日々の営みです。

 

天草ビオ・ヴィレッジ_公式サイト
https://amakusabv.com

ビオ・ビレッジ-天草-オンラインショップ
https://shop.amakusabv.com

Instagram:天草ビオ・ヴィレッジ
https://www.instagram.com/amakusabv

 

 

ご塩に感謝!

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